今日は「愛」について考えてみたいと思います。
今日のこの話を納得できるかどうかが、自分を嫌い続けるのか、それともそこから抜け出せるかを左右する鍵になるかもしれません。
それほど重要ですので、今つけているしょーもないTVのスイッチをすぐに消して(笑)ぼくの話を聴いてください。
さていきなりですが、あなたに質問があります。
愛とは見返りを求めないものでしょうか?
「咲坂さん、何言ってるの当ったり前だよ。だって“無償の愛”って言うでしょ?」
そうですか・・・。
「誰かに愛を与えることで、満たされるべきものなんだよ?」
なるほど、たしかに無償の愛というのは素晴らしいものだと思います。
・・・でも。
ここだけの話、あなた、愛に見返りを求めなくてもダイジョブですか(ヒソヒソ)?
「うーん、実はそれで自己嫌悪になっちゃうんだよねぇ…。」
あ!!! やっぱりそうですよね?
ぼくは、「こんなに愛情を与えているのに、何も返って来ない!」といつも不満を持っていた結果、バツイチになったワケです。
まーこれはお互いさまで、元奥さんも同じような不満があったんじゃないかと、今でこそ思えますが(汗)
ぼくの中にだって見返りを求めない無償の愛はありますけど、でも、今でもほとんどは「見返り求めまくり」です。
これって、やっぱりダメなのでしょうか(苦笑)?
愛の定義
ギリシア語で「愛」を表現する言葉は、「エロース」 「ストルゲー」 「フィリア」 「アガペー」と、なんと4つもあるそうです。
ぼくは愛のシロウトなので(笑)、Wikipediaとかチラ見しながら簡単に意味をまとめてみますね。愛の専門家(笑)からの「それ違う!」などのツッコミは全面禁止ですから。
まず「エロース」は、早い話が男女の愛ですね。
「ストルゲー」は 親子や師弟の愛で、血縁などの超近い人に対する愛です。
「フィリア」は友情愛で、たとえば「好み」とか「主義」とか、何か共通点を持つ人への愛、みたいな感じでしょうか。
最後の「アガペー」は無条件、無償の愛で、まさに見返りを求めない愛です。
一口に「愛」と言ってもいろいろあって、全部が全部、見返りを求めないものでもなさそうですね。
ところでこの見返りというのは、「何らかの欲求」です。では、ぼくらが愛の見返りに求める「欲求」って、一体どんなものなんでしょうか?
ぼくらの持つ欲求
まーむずかしい話は置いといて、心理学的には、愛に関する基本的な欲求は主に2つありそうです。
一つ目は、「大切な人とつながっていたい」、「親密感に満たされたい」って欲求です。
「こっちが思い切り愛しているんだから、一体感を味わいたい」って思いますよね? それです、それ(笑)
もう一つは、「尊敬されたい」、「認めてほしい」、「役に立っている実感が欲しい」って欲求。
「ありがとう~おかげで助かった、って一言がなんで言えないのーっ!!!」ってキレるのがコレ(苦笑)
これら二つは、親和欲求、承認欲求などと呼ばれていて、どんな心のキレイな人でも必ず持つ、根源的な欲求です。
つまり、見返りとか、そういう以前の話なんですよ。
「咲坂さん、それってどっちもワガママな気持ちじゃない?」
はい、そうかもしれません。
でも、これらの欲求が根源的なものだとすれば、誰でも持つ欲求ってコトですよ、性格の良し悪しは関係なく(笑)
なので、「これ以上はワガママ!」っていうあなたの基準を、もう少しゆるめちゃってもバチは当たらなそうです。
見返りの本質
「愛のあるべき姿」みたいなのはとりあえず置いといて、人間には親和欲求・認知欲求などという根源的な欲求があるということがおわかり頂けたと思います。
「咲坂さん、それはわかったけど、見返りってもっとドギツイものも多いんじゃない?」
あー高級バッグとかですね(笑)?
Rodeo Drive / shinya
でも、高級バッグをプレゼントされるっていうのはどういうコトかって考えると、本質が見えてきます。
お金が意味するコトのひとつに、「価値の尺度」がありますよね。つまり、20万も30万もするバッグを贈られるってコトは、その人にそれだけの価値がある、ってコトです。
「あなたはこのプレゼントを受け取るにふさわしい人ですよ」「あなたはこのバッグを使う価値のある人ですよ」と、暗に認められたってコ
これはまさに先ほどの「尊敬されたい」、「認めてほしい」って欲求じゃないですか。
もちろん、人間の基本的な欲求には他にも「食べたい」などの生存欲求や、「ぐっすり寝る場所がほしい」などの安全欲求もあります。
でもこれは愛に関連すること以前のものなので、ここでは省略しちゃいますね。
つまり、一見ドギツク見える欲求も、突き詰めて行けば、「大切な人とつながっていたい」「親密感に満たされたい」っていう欲求か、「尊敬されたい」「認めてほしい」「役に立っている実感が欲しい」っていう欲求にたどり着くみたいです。
愛されたいという気持ちは邪悪?
さて、あなたは愛の見返りに何を求めますか?
もちろん人それぞれですが、たぶん多いのは、「同じくらい愛してほしい」っていうような、超シンプルなものなんじゃないでしょうか。
さーここで、はじめに戻りたいと思います。
つまり、無償の愛はピュアで、同じだけ愛してほしいと願うのは邪悪なのかってコトです。
これを決めていいのは、もしかしたら神様だけかもしれません。
でもそれを承知の上で、ぼくはあえて断言します。
『あなたは、見返りを求めてもいいんです。』
もしかしたら、小さい頃のあなたは厳しく育てられて、伸び伸びと愛を求めにくかったのかもしれません。
あるいは、学校や教会で「愛は見返りを求めないもの」とくり返しくり返し、教わってきたのかもしれません。
でも、ぼくにはわかるんです。
あなたは、中途半端に誰かを愛する人じゃない。
一生懸命、愛してきたはずです。
愛し方がヘタクソだったかもしれないけれど。
相手の求める愛のハードルが高すぎたかもしれないけれど。
とにかく、ちっぽけなあなたにできる、精一杯の愛を注いできたはずです。
それなのに、愛してもらえなかったら、あなたのココロの花が枯れちゃいます。
その花は、愛の水をほしがっているんです。
ただ、それだけのことです。
人間って、そういうものでしょう?
そこに何の邪悪があるでしょうか?
あなたには、それを受け取るだけの価値があるんです。
もう一度言いますよ。
あなたには、それを受け取るだけの価値があるんです。
このことだけは、絶対に忘れないでください。
どうぞ遠慮せずに、愛を求めてください。
あなたには、愛が似合いますから。
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今日も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
咲坂好宥
コメント
私は愛に見返りを求めません
理由は簡単です
見返りは求めてくるものではありません
もしも、何かを行って見返りがないならば、それはただ単に渡したものやタイミングが悪かったのです
あなたがたが見返りを求めるのは構いませんが、片想いの状態で「私はこんなに尽くしているのに!!」はお笑い草です
ホストやキャバ嬢に貢いで、付き合ってくれない…はおかしいのです
見返りを受けたがるのではなく、少ない見返りに 気づくことが最重要と考えてます
ありがとう等は自分が言っているかを再確認すべきです
自分本位になっていないか
考え続ける必要があります
>(´・ω・`) さん
咲坂です。コメントありがとうございます。
とても厳しくご自分と接していらっしゃるのですね。
「少ない見返りに 気づくことが最重要」というあなたの言葉、
おっしゃる通りで、その意識が強ければ強いほど、ここから
感謝の気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。